七里岩

今週のインデックスは…七里岩


韮崎市から県境の北杜市白州町付近まで、釜無川の左岸に沿って、高さが40mから150mにも達する切り立った崖が延々と続いています。

七里岩は、大昔に八ヶ岳の噴火や地震によって岩屑流が甲府盆地まで流れ出た後、西側の釜無川と、東側の塩川の流れに削り取られて、できた台地です。台地の形は舌状で、「韮」の葉に似ているので、その先端部のある地域を「韮崎」として、韮崎市の地名発祥のひとつになったとされています。

南北の長さが30km、およそ7里にも及ぶので、七里岩という名称がつけられました。よく「七里ヶ岩(しちりがいわ)」とも呼ばれていますが、正しくは「しちりいわ」なんだそうです。


台地の北部には、長野県富士見町の井戸尻遺跡、山梨県北杜市の金生遺跡、長坂遺跡、韮崎市の坂井遺跡など縄文時代の遺跡も分布し、古代より人々が生活していたことが分かります。

そして中世の城郭や砦も多く、台地の残丘を利用した新府城など、武田氏の構築した城塞が存在しています。他にも能見城(のうけんじょう)や谷戸城などもあり、甲斐源氏の初期の活動舞台でした。


さて、七里岩を侵食した釜無川と塩川沿いには、それぞれの川に平行して甲州街道佐久甲州往還が走っていました。この道は、今の国道20号と国道141号に相当しますが、古くは、逸見路(へみじ)や信州往還(甲州街道原路)、信玄の棒道といった交通路が存在し、甲府から信州を結んだ重要な道でありました。

現在は、七里岩の中央部の南端から北に向かって「七里岩ライン」が伸びています。この道を韮崎から小淵沢に進むと、左手に見える甲斐駒ケ岳や、長坂付近で眼前に迫る八ヶ岳が四季折々に美しい景色を演出します。

ドライブにお出かけの際には「七里岩」の魅力を楽しまれてみてはいかがでしょうかconfident


clover clover clover

「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。

是非お楽しみ下さい!