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今週のインデックスは…快川国師
「心頭滅却すれば火もまた涼し」。
皆さんによく知られているこの言葉。これを唱えたのは、快川紹喜(かいせんじょうき)。
戦国時代の臨済宗の僧侶です。
武田信玄に招かれて、恵林寺に入ることになりました。
県民の皆さんには快川国師として知られていると思います。
甲斐の国との関係が始まるのは、1554年に快川国師が恵林寺住持となってからで、
信玄の母、大井夫人4回忌の法事に関わったそうです。
この時の在任期間はおよそ2年と短かったですが、信玄との交流はこの時期から始まったのではないでしょうか。
その後、快川国師は、信玄の熱烈な勧誘により1564年、再び恵林寺へ入山し、
そして信玄は、恵林寺を自らの菩提寺としました。
快川国師は、不和となった信玄の嫡子、義信との間を取り持って和解させる努力をするなど、内政の面でも大きく関わります。
その他にも 上洛を望む信玄と美濃の斉藤竜興を連携させようと奔走するなど外交面にも力を発揮し、とても重要な役割を果たしました。
信玄の死去後も、快川国師は、恵林寺に留まり、武田氏の存続に尽力しますが、
1582年の武田氏滅亡時に、織田軍の攻撃を受け、恵林寺の三門で焼死してしまいます。
そのとき唱えたといわれている言葉が、「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのです。
「精神力の強さ、心を整えることの大切さ」という教えは今の時代にも生きています。
現在、恵林寺には、快川国師の言葉が掲げられた三門以外にも、
1606年に建立された国の重要文化財の四脚門など歴史を垣間見える建立物があります。
新緑のこの季節、恵林寺に足を運び、戦国時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか
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