謝恩碑

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春の陽気に誘われて、外に出てみました。
今日来たのは舞鶴城公園。
そして、私の目の前にそびえ立つのは、 「謝恩碑」です。

おおきーい!happy02


こちらの謝恩碑は、明治天皇から御下賜された森林=「恩賜林」への
感謝の気持ちを後世に伝えようと、大正9年に建設されたものです。

オベリスクの形状が特徴的ですね。
一見コンクリート製に見えますが、花崗岩を積み上げて作られたものです。

私の手元に建設当時の写真がありますが・・・、
木製の櫓が建ててあり、大きな花崗岩石を人力で積み上げたことがよくわかります。


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ところで、「謝恩碑」が建てられるきっかけとなった「恩賜林」とは、
明治に山梨県を襲った大水害と深い関わりがあります。

明治40年8月、台風による大雨の影響で土砂崩れや河川の氾濫などが各地で発生し、
多くの尊い命が失われました。

また、家屋の崩壊や集落の孤立、田畑の流出など県民生活への打撃も大きく、
さらにこの傷跡が癒えない明治43年にも、再び大水害に見舞われ県民は大変困窮した生活を強いられました。

この惨状を知った明治天皇は、山梨県の復興に当てるようにと、明治44年
県の面積の約3分の1にあたる、16万4千ヘクタールにも及ぶ御料地を山梨県にご下賜されたのです。


大正6年、この御恩と歴史を伝えるため、県では謝恩碑の建設を決定し、
「多くの県民から見える場所に」ということで、舞鶴城公園に建てられました。

材料は、現在の甲州市塩山の恩賜林内にある花崗岩が使われたのですが、
この花崗岩が大変な巨岩だったため、11個に切り分けて汽車で運び、積み上げられました。

我々が見ているオベリスクの形状をしている部分が約18m。
そして碑台、台座と呼ばれる地中に約12m延びており、その中心には鉄筋が通され、
地震などでも倒れない構造になっています。


県では恩賜林が下賜された3月11日を恩賜林記念日とし、毎年式典を催しています。

今年で102回を迎える恩賜林記念日。
先人の苦労と、多くの恵みを与えてくれる森林の大切さについて考えるきっかけにしたいですねconfident
 

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「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。

是非お楽しみ下さい!