2013年3月アーカイブ

今週のインデックスは…笈形焼 


もうすぐ新年度です。
新しい生活への準備を進めているという方もいらっしゃるでしょうか?

毎年4月、夜になると、笛吹市にある御室山に幻想的に浮かび上がる、
鳥居のような形を見たことがありますか?

それが「笈形焼」なんです。

春の風物詩としても有名ですよね~happy01


笈形焼の歴史は古く、平安時代までさかのぼります。

甲州市にある大善寺の資料によりますと、
かつて、大善寺と笛吹市にある長谷寺(ちょうこくじ)との間に争いが起こりました。

このとき、大善寺の僧は、長谷寺に協力した山梨岡神社の鳥居を持ち帰り焼き払う一方で、長谷寺の僧は、大善寺から、山伏が背負う荷物箱である「笈(おい)」を持ち帰って焼き払いました。

この「笈を持ち帰って焼いたこと」が、笈形焼の始まりと伝えられています。
 

その後、笈形焼は、盂蘭盆(うらぼん)の終わり――旧暦7月16日――の夜に、
精霊送りの篝火として行われるようになり、江戸時代末期まで続きました。


その後一時途絶えますが、昭和63年に観光を目的に復活します。
ただし、山火事などの安全面を考慮し、「電球」90個の点灯による笈形焼となりました。

なお、平成2年以降は85基の「電灯」設備による点灯を行っています。

御室山に浮かび上がる「笈」は、一辺の長さが400m。
これほど大きな山焼きは、全国的にみても、とても珍しいです。

現在、笈形焼は、笛吹市が毎年春に開催する「桃の花まつり」の目玉の一つになっています。


今年の「笛吹市・桃の花まつり」は、4月1日~21日に開催されます。

「笈形焼」は1日~15日まで実施され、
この間、笛吹市一宮町にある大久保山の「大文字焼」も点灯します。
双方とも「見もの」ですwink

このほか「桃の花まつり」のイベントをいくつか紹介しますと、

来月7日(日)の石和温泉夜桜祭り

14日(日)の笛吹市桃の里マラソン大会

最終日の21日(日)にはハイライトである川中島合戦絵巻が行われます。

川中島合戦絵巻 では、武田軍と上杉軍に分かれ、川中島の合戦が再現され、
エピソードとして有名な、信玄・謙信の一騎打ちもあります。

新年度のスタートを明るく彩るイベントが盛りだくさんですhappy01


間もなく笛吹市は桃の花の満開を迎えます。
笛吹川周辺の扇状地に広がる桃の花の「ピンクの絨毯」を眺めることができますよ。


新しい友人と、会社の同僚と、学校の友達と・・・
花見やイベント、そして笈形焼を見にお出かけしてみてはいかがですかconfident


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今週のインデックスは…新府藤武神社 


日に日に暖かくなってきました!
cherryblossom桜の花も咲き始めましたね!

新府藤武神社の周りにもソメイヨシノが30本近くあり、
花見を楽しみに沢山の人が訪れるんですよ。

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新府藤武神社は韮崎市中田町にあった新府城の跡地に建てられた神社です。

神社は新府城の歴史に深いかかわりがあります。

sinnpu 4.JPG新府城は、織田・徳川軍の攻撃に備えて、武田勝頼が真田昌幸に命令して築かせたものです。

戦国時代の長篠の戦いで、武田勝頼率いる騎馬隊が織田信長率いる鉄砲隊に大敗してしまったのがきっかけで建てられました。

勝頼は武田軍の体勢立て直しを図るために、
七里岩の上にある新府に新たな拠点を作りました。

新府城内は西側を七里岩の一部を利用し、90mもある天然の崖を防壁にとしたり、
水の堀を作ったり、丘陵の変化を利用した国内でも珍しい複雑な構造をしていたため
防衛に非常に優れていました。

しかし、勝頼が移り住んでたった68日、もう間もなく新府城の全てが完成というところで戦局が悪化。
勝頼は城に自ら火を放ち落ちのび、大和村まで逃げて自害してしましました。

新府城を「未完の城」と呼ぶのはこのような歴史からです。

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そして、焼け落ちた本丸跡地に建てられた神社が新府藤武神社という訳です。
藤井地区と武田地区を見下ろす高台にあるのでこのように呼ぶようになったと言われています。

神社の北西には石で作られた祠(ほこら)があり、勝頼の魂が祀られているんです。



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さて、新府藤武神社では毎年4月に、
古くから「お新府さん」と呼ばれ親しまれているお祭りがあります。
お新府さんでは勝頼の慰霊祭神輿や神楽の奉納などが行われます。

また、昔からお祭りの日に雨が多いのは勝頼の死を悲しむ天の涙かもしれませんね。

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今年は4月21日(日)にお新府さんが行われ、
神輿や神楽の奉納、カラオケ大会などが盛大に催される予定になっています。

祭りのハイライト、新府藤武神社へ続く傾斜のきつい249段の石段を一気に駆け上がる
神輿石段登壇は圧巻です!!
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神社ある地域は新府桃源郷としても有名です。
お花見に、そして勝頼ゆかりの地を訪ねにお出かけして見てはいかがでしょうか?
 

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今週のインデックスは…虫切り加持 


今年は冬の寒さが長く続きましたが、
ようやく陽の光も暖かさを増して、本格的な春がそこまでやって来ていますねhappy01

今日はそんな春の風物詩となっている行事をご紹介します。


富士川町にある昌福寺(しょうふくじ)では、
毎年春と秋のお彼岸の時期に「虫切り加持」が行われます。


この行事は300年も前から続いていて、当時の昌福寺の住職が加持祈祷の能力を認められ、天皇の病気を治したことがそもそものきっかけとされています。

それが時代とともに子どもの疳の虫を断ち切る行事として地域に定着しました。

昔から日本では、子どもの夜泣き、ひきつけ、かんしゃくなどの行動は疳の虫によるものだと信じられていました。
悪さをする疳の虫を祈祷で断ち切り、健やかに成長して欲しいという親の想いが込められている行事なんです。


祈祷は、住職がお経をあげながら、食紅で子どもの手のひらに特別なおまじないを書いたり、数珠でリズムを刻んだりと独特な方法で行われます。

手に描かれるおまじないは、男の子は左手、女の子は右手にしてもらいます。


毎年、県内はもちろん県外からも母さんやお父さんに連れられて、
2~4歳の子どもたちを中心に多い時では500人ものお子さんが来るそうです。

子どもを想う親の心は、どんなに時代が移っても変わらないんですねconfident

今年の春の虫切り加持は3月17日~23日まで行われ、この期間に合わせて、
昌福寺のご本尊「延寿日蓮大菩薩像」のご開帳も行われます。


そして、虫切り加持とともに、富士川町周辺に本格的な春が訪れます。

昌福寺の近くには、cherryblossom桜の名所・大法師公園があります。
公園周辺には2000本もの桜の木があり、大法師山の山頂が淡いピンク色に染まってとても見ごたえがあります。

日本さくら名所100選にもなっていますhappy02

今月30日から4月7日までは大法師さくら祭りも行われ、期間中は桜のライトアップも行われる予定です。

また、富士川では昨年100年ぶりに復活した舟下りも体験でき、ゆったりと舟に揺られながら、
山の緑や川沿いの菜の花を楽しむこともできます。

ぜひ、春を感じにお出かけになってみてはいかがでしょうかhappy01



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今週のインデックスは…明見(あすみ) 


私たちの住む山梨県には現在、27の市町村がありますが、
地域ごとに珍しい地名や面白い地名がたくさんありますよね。

知らなければ正しく読めない地名も各地にあります。

富士吉田市にある、「明見」もその一つと言えます。
「明るい」という字に、「見る」という字を書いて「明見」。

その地名の由来ですが、昔話によると・・・

その昔、富士山が噴火したとき噴火がもの凄いので、近隣の村々が騒ぎ立てる中、
この村の人だけは

「こんなことはよくあることだ。いやなことは明日見ることにしよう。」
といって寝てしまいました。

ところが、一晩のうちにすっかり土地の形が変わってしまったので、
とうとうこの村では富士山が見られないようになってしまいましたとさ。』


と伝えられています。

「明日見る」と言ったので「明見」というわけです。


昔話とは違い、現在明見地区からは富士山が見えますので、全てが真実というわけでは
なさそうですが、富士山の噴火が地名の由来になっているとしたら、当時の人達にとって、
それほど大きな出来事だった訳です。


その富士山は、活火山に指定されています。
残っている記録を見ると、300年程度に1回は噴火を繰り返しています。

江戸時代中期の1707年に起きた宝永大噴火(ほうえいだいふんか)が一番最近の噴火ですので、すでに300年が経過していることになります。

このため、防災対策として「富士山ハザードマップ」が作成されたほか、
富士山周辺の7市町村で「富士山防災避難マップ」が作成・配布されました。

平成24年6月には「富士山火山防災対策協議会」が設置され、
国や周辺自治体とも協力しながら、
防災計画の検討、訓練の実施などを行い、有事に備えています。



山梨県に起こりうる災害は、ほかにも東海大地震や台風による水害などがあります。
いつ起こるか分からない災害に対しては、普段からの備えがとても大切ですよね。

東日本大震災から丸2年が経過しようとしている今、改めてご家族で防災について話し合い、緊急の際の連絡方法や住まいの防災対策の確認はもちろん、
非常食・水・懐中電灯・そして「ラジオ」などの防災グッズも、この機会に点検してみてはいかがですかconfident
 

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今週のインデックスは…謝恩碑


春の陽気に誘われて、外に出てみました。
今日来たのは舞鶴城公園。
そして、私の目の前にそびえ立つのは、 「謝恩碑」です。

おおきーい!happy02


こちらの謝恩碑は、明治天皇から御下賜された森林=「恩賜林」への
感謝の気持ちを後世に伝えようと、大正9年に建設されたものです。

オベリスクの形状が特徴的ですね。
一見コンクリート製に見えますが、花崗岩を積み上げて作られたものです。

私の手元に建設当時の写真がありますが・・・、
木製の櫓が建ててあり、大きな花崗岩石を人力で積み上げたことがよくわかります。


index:20130301.JPG

ところで、「謝恩碑」が建てられるきっかけとなった「恩賜林」とは、
明治に山梨県を襲った大水害と深い関わりがあります。

明治40年8月、台風による大雨の影響で土砂崩れや河川の氾濫などが各地で発生し、
多くの尊い命が失われました。

また、家屋の崩壊や集落の孤立、田畑の流出など県民生活への打撃も大きく、
さらにこの傷跡が癒えない明治43年にも、再び大水害に見舞われ県民は大変困窮した生活を強いられました。

この惨状を知った明治天皇は、山梨県の復興に当てるようにと、明治44年
県の面積の約3分の1にあたる、16万4千ヘクタールにも及ぶ御料地を山梨県にご下賜されたのです。


大正6年、この御恩と歴史を伝えるため、県では謝恩碑の建設を決定し、
「多くの県民から見える場所に」ということで、舞鶴城公園に建てられました。

材料は、現在の甲州市塩山の恩賜林内にある花崗岩が使われたのですが、
この花崗岩が大変な巨岩だったため、11個に切り分けて汽車で運び、積み上げられました。

我々が見ているオベリスクの形状をしている部分が約18m。
そして碑台、台座と呼ばれる地中に約12m延びており、その中心には鉄筋が通され、
地震などでも倒れない構造になっています。


県では恩賜林が下賜された3月11日を恩賜林記念日とし、毎年式典を催しています。

今年で102回を迎える恩賜林記念日。
先人の苦労と、多くの恵みを与えてくれる森林の大切さについて考えるきっかけにしたいですねconfident
 

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