富士川舟運

今週のインデックスは・・・富士川舟運 


みなさん、ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。

先月末、山梨県を南北に流れる富士川で、富士川舟運「富士川舟下り」として復活しました。
爽やかな新緑を肌で感じるには、舟下りはまさにうってつけのレジャーですよねhappy01


IMG_33250-02.JPG


富士川舟運は、江戸時代初期から昭和のはじめごろまで、
江戸への主要な流通ルートとして300年以上も活躍してきました。

全長はおよそ72キロで、鰍沢から静岡県富士市の岩淵まで続いていました。

当時、甲斐の国から江戸へ向かうには、笹子峠を越えるか、静岡方面へ陸路を使って行く方法しかありませんでした。

しかし、徳川家康の政策によって富士川舟運が開通すると、物流の形態は大きく変わりました。

ちょうど信濃と駿河経路が交わる地点に位置していた鰍沢は、富士川舟運の要衝として大いに発展していきました。

IMG_3344.JPG


舟の主な積荷は、

駿河へ向かうときは、米・年貢米を、
甲斐に戻るときは塩を始めとした海産物を乗せていました。

下りは米、上りは塩ということから、「下げ米、上げ塩」と呼ばれていました。

行きは半日ですが、帰りは、船に縄をつけて船頭さんたちが引っ張りながら、
4-5日もかけて戻ったそうですよ。


そして、積荷とともに、鰍沢には全国から様々な文化や風習が流れ込みました。

例えば、河岸(かがん)のあった鰍沢で見られる「鰍沢ばやし」「山車(だし)」は、
京都の「祇園ばやし」と江戸の「おはやし」の特徴が混ざっています。

「山車(だし)」の上半分が浅草風で、下半分が京都の御所車風(ごしょぐるまふう)
になっています。

県内で最も古いこの山車は、山梨県の貴重な文化遺産になっているんですよ。


最盛期には、400艘を超える舟が行き来していた富士川ですが、
明治になってtrain中央本線が開通し、物流が鉄道へと移行するにつれて、
昭和のはじめに、その役目を終えました。


それから、約1世紀の時を経て、地元の有志が地域活性化のために、
富士川舟運を新たに「富士川舟下り」として復活させるべく立ち上がりました。

IMG_3330.JPG


穏やかな富士川の流れを、子供からお年寄りまで家族でのんびりと楽しめる
「富士川舟下り」は、船頭さんからのウンチクのある説明と舟歌に耳を傾けながら、
富士川町鹿島橋から身延町西嶋峡南橋までのおよそ5キロを、40分かけて、
ゆったりと巡る旅。


 IMG_3325.JPG

IMG_3335.JPG

IMG_3339.JPG

天気のよい日はfuji富士山が見えて、川鳥との戯れも楽しめ、四季折々の自然の表情を
満喫できますよhappy01


かつて物流の大動脈として栄えた富士川舟運。
「富士川舟下り」として、いま新たな命を吹き込まれ、今後の中部横断自動車道の開通に向けた
沿線地域の活性化策の一つとしても、期待が高まっていますconfident

IMG_3319.JPG
 

clover clover clover

「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!