2012年5月アーカイブ

今週のインデックスは・・・おざら 


さて、私の目の前には山梨の郷土料理「おざら」があります。

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取材協力 ほうとう・おざら ちよだ 



早速ですが、頂きます・・・happy01

麺を汁につけて・・・ズズズnote

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取材協力 ほうとう・おざら ちよだ 


このつるつるした麺がたまらないですね。
さっぱりしているので、sun暑い時季でもたくさん食べられますね。


近年「おざら」は、県内の多くの飲食店で提供されており、麺も「ほうとう」同様、薄い幅広麺が、そして名称も「おざら」が一般的となっています。

かつて県内では、冷や麦など、冷たくして食べる麺類のことを「おざら」とか「おだら」などと呼ぶ風習があり、場所によっては「お麺類」、と呼ぶところもあったそうです。

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取材協力 ほうとう・おざら ちよだ
 



お米が尊かった時代、snow冬場は「ほうとう」が、そしてsun夏場にはこの「おざら」がよく食べられていました。

特に「麦秋」を迎えるこの時季、かつて県内の農家では、小麦の収穫やお田植え、それに養蚕などが重なり、大変な忙しさでした。

そんな時「おざら」は比較的調理に手がかからず、つゆの味付けもしっかりしていることなどから、おかずもそれほど必要としませんでした。

農家のお嫁さん達には、大変重宝された料理だったと言います。
「おだら」や「ほうとう」の麺が薄いのは、早く火が通るようにとの工夫からだそうです。


昔の農家では、地(じ)で獲れた小麦粉を使って、「おざら」の麺を打っていましたが、最近では、県内の小麦の収穫量は年々減っていて、多くの小麦粉は輸入に頼っているのが現状です。

これは、取引価格の低迷や農業の担い手不足が主な原因で、平成元年の収穫量、785トンに対して、平成20年には68トンと、20年間で10分の1以下に減少してしまいました。

その後、国の政策や農業法人の参入などにより小麦の生産量は、回復傾向にありますが、依然低い水準です。


県産の小麦粉を使って作る「おざら」は幻のものになりつつあるんですね。


さて、これら農業全般にわたる従事者不足を解消すべく、県では、新たな担い手の育成に力を入れています。
新規就農者に対する様々な支援も行っていて、農業経験のない人でも、農業に就きやすくサポートする制度もあるんですよ。


詳しくは山梨県担い手対策室または、山梨県就農支援センターにお問い合せください。


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取材協力 ほうとう・おざら ちよだ 


 
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今週のインデックスは・・・八ヶ岳牧場 


八ヶ岳の麓標高1000メートル以上の高地に広がる八ヶ岳牧場。

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例年、5月から10月にかけてtaurus牛の放牧が行われます。
牛が草をはむ姿を見られるのは草原ならではの風景ですよねhappy01

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八ヶ岳牧場は、北杜市にある県立の牧場で、小淵沢町大泉町の2カ所あります。

敷地は合計で597ha。東京ドーム約130個分の広さです。

昭和43年(1968年)、今から約50年前に「家畜の生産及び育成を行い、もって畜産の振興に資すること」を目的に設置されましたが、その起源は、大正15年に大泉村内の県有地で馬の放牧を行ったことにあります。


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小淵沢町にある八ヶ岳牧場の本場では、山梨県の所有する黒毛和種雌牛を200頭飼育していて、妊娠牛や仔牛を畜産農家に販売することで、山梨県のブランド牛「甲州牛」の増産を目指しています。

一方、大泉にある分場では、sun夏に、山麓の涼しい気候・広大な敷地を利用して、畜産農家から牛を預かって放牧しています。

預かることができるのは、最大500頭。
草原を駆け回ることができる放牧を行うことで、丈夫な牛に育つんですrock

また、畜産農家は、仔牛の飼育を牧場に任せることで、お乳を搾るなど、別の作業に専念できるのも魅力です。

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八ヶ岳牧場に預けられた牛たちの大半は、農家に戻った後に出産を経て乳牛になります。

「乳牛はいつでもお乳が出る」と思われているようですが、お乳は仔牛を育てるためのものなので、仔牛を生んだ母牛しか出ないんです。

例えば日本の乳牛の99%を占めるホルスタイン種の場合、母牛から搾られる乳の量は、1日平均20-30キロ(グラム)、沢山出るものは40-50キロ(グラム)にもなります。

1頭あたり平均すると1年に約8000キロ(グラム)もの乳を出すんですよ。
すごい量ですよねcoldsweats02

八ヶ岳牧場で放牧されて元気に育つ仔牛たちが、やがて、私たちが口にする牛乳やチーズの原料を生産することになると思うと、感慨深いものを感じませんか。


また、八ヶ岳牧場内の一画には県立まきば公園もあります。

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ここでは、八ヶ岳牧場で放牧されている牛を眺めたり、ヒツジやヤギ、ポニー等がいる柵の中に実際に入って自由に動物と触れ合うことができます。
バリアフリーの遊歩道も整備されていまして、野鳥の森の散策なども楽しめます。


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牧場にはトレッキングコースもあり、素晴らしい風景を眺めながら清里高原の雰囲気を味わえますよ。
八ヶ岳牧場はまさに自然の宝庫ですねnotes

詳しいことは、各施設のホームページをご覧ください。


八ヶ岳牧場 のホームページ


 県立まきば公園のホームページ

 
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今週のインデックスは・・・農鳥 


clover新緑美しい季節となりました。
燦燦と降り注ぐsun太陽の光を浴びて、富士山の麓の雪もそろそろ解け始める頃ですね。


農鳥とは、富士山の山肌に現れる雪の形のこと。

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富士山の雪解けとともに富士の山肌に残雪で創られた「鳥」の形が浮き上がります。

富士北麓地域では、鳥の形がはっきりと現れたときと、田植えの季節が重なることから
「農業の鳥」、略して「農鳥」と呼ばれるようになりました。

そして現れた「時期」によって、その年の天候吉凶を占いました。


例年農鳥は、田んぼに水が引かれる5月から6月ごろ、富士吉田市から見ると富士山の
8合目(標高2900メートルから3000メートル)付近の北西斜面にその姿を現します。

今年は、1月30日に鳥が羽ばたくような模様が現れ、この時期に
春の風物詩「農鳥」が確認できるのはとても珍しいと話題になりましたね。

これは、冬場の強風で周りの雪が吹き飛ばされてできたもので、
「寒中の農鳥は人を食う」として凶兆ともいわれていましたが、
最近では「新春の農鳥はむしろめでたい」と言われているんです。

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現れる「形」は時期によってさまざま。

3月頃の早春には「鳳凰」、5月頃の初夏には「ひよこ」「たまご」
時期によっては「牛」の形になったりもするんです。

ちなみに、現在、農鳥は、農業の目安というより、その形を楽しむ季節の風物詩の意味合いが強く、「雪形(ゆきがた)」と呼ぶのが一般的になっています。


さて、農鳥などの雪形に例えて親しまれてきた富士山は、昔から竹取物語万葉集
冨嶽三十六景など、さまざまな形で表現されてきました。

富士山にまつわる伝説や伝承も数多く残されていて私たちの精神と深く結びついてきたんですねconfident


もうすぐsun夏山シーズンが到来します。

富士山が山開きを迎えると、国内をはじめ海外からもたくさんの観光客が訪れ、ここ数年「20万人以上」の登山客で賑わっています。

周辺には、鳴沢風穴忍野八海などの山梨の自然を満喫できるスポットがあり、富士北麓地域は行楽地としても人気があります。
このように愛され、敬われてきた富士山は、日本文化の創造に欠かすことのできない存在です。

そしていま富士山の2013年の世界文化遺産登録を目指してさまざまな取り組みが行われています。

note富士は日本一の山・・・が早く世界の山になるといいですねhappy01


農業の目安として、昔から親しまれてきた農鳥。
富士山の山肌にできる、季節ごとに変わる雪形をあなたも探してみてはいかがですか。
 

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今週のインデックスは・・・富士川舟運 


みなさん、ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。

先月末、山梨県を南北に流れる富士川で、富士川舟運「富士川舟下り」として復活しました。
爽やかな新緑を肌で感じるには、舟下りはまさにうってつけのレジャーですよねhappy01


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富士川舟運は、江戸時代初期から昭和のはじめごろまで、
江戸への主要な流通ルートとして300年以上も活躍してきました。

全長はおよそ72キロで、鰍沢から静岡県富士市の岩淵まで続いていました。

当時、甲斐の国から江戸へ向かうには、笹子峠を越えるか、静岡方面へ陸路を使って行く方法しかありませんでした。

しかし、徳川家康の政策によって富士川舟運が開通すると、物流の形態は大きく変わりました。

ちょうど信濃と駿河経路が交わる地点に位置していた鰍沢は、富士川舟運の要衝として大いに発展していきました。

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舟の主な積荷は、

駿河へ向かうときは、米・年貢米を、
甲斐に戻るときは塩を始めとした海産物を乗せていました。

下りは米、上りは塩ということから、「下げ米、上げ塩」と呼ばれていました。

行きは半日ですが、帰りは、船に縄をつけて船頭さんたちが引っ張りながら、
4-5日もかけて戻ったそうですよ。


そして、積荷とともに、鰍沢には全国から様々な文化や風習が流れ込みました。

例えば、河岸(かがん)のあった鰍沢で見られる「鰍沢ばやし」「山車(だし)」は、
京都の「祇園ばやし」と江戸の「おはやし」の特徴が混ざっています。

「山車(だし)」の上半分が浅草風で、下半分が京都の御所車風(ごしょぐるまふう)
になっています。

県内で最も古いこの山車は、山梨県の貴重な文化遺産になっているんですよ。


最盛期には、400艘を超える舟が行き来していた富士川ですが、
明治になってtrain中央本線が開通し、物流が鉄道へと移行するにつれて、
昭和のはじめに、その役目を終えました。


それから、約1世紀の時を経て、地元の有志が地域活性化のために、
富士川舟運を新たに「富士川舟下り」として復活させるべく立ち上がりました。

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穏やかな富士川の流れを、子供からお年寄りまで家族でのんびりと楽しめる
「富士川舟下り」は、船頭さんからのウンチクのある説明と舟歌に耳を傾けながら、
富士川町鹿島橋から身延町西嶋峡南橋までのおよそ5キロを、40分かけて、
ゆったりと巡る旅。


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天気のよい日はfuji富士山が見えて、川鳥との戯れも楽しめ、四季折々の自然の表情を
満喫できますよhappy01


かつて物流の大動脈として栄えた富士川舟運。
「富士川舟下り」として、いま新たな命を吹き込まれ、今後の中部横断自動車道の開通に向けた
沿線地域の活性化策の一つとしても、期待が高まっていますconfident

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