今週のインデックスは…甲州武者のぼり
いよいよゴールデンウィーク、そして5月5日は端午の節句ですね!
子どもの健やかな成長を願って立てられる武者のぼりや鯉のぼりが、
風に吹かれて大空を泳ぐ姿はこの季節ならではです。
「武者のぼり」は、戦国武将の「旗指物」と呼ばれる幟旗(ノボリバタ)が起源
と言われています。
江戸時代、端午の節句のお祝に「武者のぼり」を立てたり送ったりする風習が武家の間で盛んに行われ、
あまりに流行したこの風習を、禁止する布令(命令ですね)が出されるほどでした
江戸時代末期には山梨県内でも「武者のぼり」が立てられるようになり、
その後一般化していったということです。
さて、今回のINDEX、「甲州”武者のぼり」は、
「風土と人々の暮らしの中で育まれ、受け継がれてきた伝統性のある工芸品」として、
山梨県の郷土伝統工芸品に指定されています。
現在この「甲州武者のぼり」を製作しているのは、南アルプス市の「井上染物店」のみです。
井上染物店の「武者のぼり」の歴史は、江戸時代末期の1860年頃に始まります。
もともと藍染めを手掛けていた代目の井上文左衛門氏と代目の豊松氏が
「武者のぼり・鯉のぼり」を取り入れました。
その後、大正から昭和の初めにかけ、多くの染物店でも武者のぼりや鯉のぼりが
販売されるようになります。
そんな中で、井上染物店の「武者のぼり・鯉のぼり」は、大変な人気を誇り、
このころから井上染物店の「武者のぼり」のことを「甲州武者のぼり」と呼ぶようになりました。
井上染物店の「甲州武者のぼり」は、江戸時代から続く伝統の技法で作られています。
使われる生地は綿100%。
生地に描かれる武者絵の白い輪郭は、
もち粉(モチコ)や米ぬか(コメヌカ)などから作られる「糊」を使って、
生地自体の白さを際立たせています。
「甲州武者のぼり」の武者の絵柄は、昔からの下絵を現在も使用しています。
糊で輪郭などを描く工程や、筆で色を付ける工程など、
全て昔ながらの手作業で行われているので、完成までに半月はかかるそうですよ
5月の空に映える「甲州武者のぼり」。
江戸時代から脈々と伝えられている伝統の技術を、次世代に残していってほしいですね
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是非お楽しみ下さい!
2012年4月アーカイブ
今週のインデックスは…茅ヶ岳
北杜市から甲斐市にわたって緩やかな稜線を描いている山が茅ヶ岳です。
形が八ヶ岳に似ていることから、昔から混同されたり、比較されたりしてきました。
「偽八(にせやつ)」とも呼ばれているんです。
標高は1704メートル、およそ100万年前にできたと推定される火山です。
茅ヶ岳という名前は、
火山の噴火でできた酸性の土壌に強いススキ、カヤが山麓を覆っていることが由来
と言われています。
標高1000メートルより下の裾野では傾斜の緩い台地になっているんですが、
実はこれ、火砕流によってできた火山性の扇状地なんです。
火山台地の特徴の一つは、水が乏しいこと。
作物などが育ちにくい環境でした。
だから昔は、馬や牛を放牧して繁殖させたり、釜無川や御勅使川が氾濫したときに備えて、
主要な交通路が敷かれたりしていました。
さて、登山ブームの現在、茅ヶ岳は、人気の山の一つに数えられています。
この時期、茅ヶ岳の麓では桃やリンゴの花が咲き、道中では、ツツジの群生、シラカバ林の中から聞こえる野鳥のさえずりなど自然を満喫できるポイントが目白押し。
頂上へは韮崎市側の登山口から、およそ2時間半。
頂からは南アルプスや富士山などが360度見渡せる大パノラマ。
登山に挑戦したくなる気持ちがよく分かります
ところで、随筆集「日本百名山(新潮社、1964年刊)」をご存知ですか?
現在も続いている登山ブームのきっかけとなった1冊と言われているんですが、
この本の著者・深田久弥(ふかだきゅうや)が茅ヶ岳登山中に亡くなったことから、
茅ヶ岳は登山ファンが詣でる聖地になっているんです。
彼の没後10年を経た昭和56年、韮崎市観光協会では、茅ヶ岳登山口に深田久弥記念公園を
作り、公園開設の翌年から毎年4月の第3日曜日に彼を偲んで記念登山などが行われる
「深田祭(ふかださい)」が開かれています。
今年は今週末4月22日(日)に31回目となる深田祭があります。
ヤマザクラが見られる千本桜公園を歩く登山コースもおススメです
週末、家族のふれあいや気分転換にお出かけして見てはいかがですか?
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是非お楽しみ下さい!
今週のインデックスは…大菩薩峠
草木が芽吹き、山の緑も日に日に色濃くなっていく季節になりました。
いよいよ登山シーズンの到来です。
大菩薩峠は、甲州市と丹波山村にまたがる日本百名山の一つ大菩薩嶺(だいぼさつれい)
から、南へ下がったところにあります。
江戸時代には、青海街道の重要な峠として、物資の運搬や庶民の交通路に利用されていたそうです。
標高は1897メートル。
峠からは、富士山をはじめ、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父などの山々を一望でき、まさに絶景です。
「大菩薩」の名の由来はいくつかあります。
源義光が奥州に向けて出陣した際に、この峠から振り返ると谷間に八本の白旗が翻っており、
これこそ神のご加護と「南無八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)」と唱えたからという説や、
大菩薩峠の上方に「妙見の頭(みょうけんのかしら)」という岩峰があり、
そこに妙見菩薩(みょうけんぼさつ)が奉られていたことに由来するという説などです。
さて、大菩薩峠は、明治から昭和にかけて活躍した小説家「中里介山(なかざとかいざん)」の時代小説のタイトルにもなっています。
作品は原稿1万5千枚にも及ぶ一大巨編で、幕末を舞台に、大菩薩峠から始まる剣士の旅の遍歴と、彼をとりまく人々の生き様を描いています。
連載は、30年にもわたり、中里介山の死とともに未完に終わりました。
中里介山は、大菩薩の登山道脇に、「三界庵」(さんかいあん)という「庵」を建て、
しばしば滞在し、執筆活動をしていました。
この作品は、芥川龍之介など、その時代を代表する作家から賞賛されました。
現在は、中里の業績を讃えて、登山口近くの雲峰寺(うんぽうじ)で、
毎年4月に介山祭(かいざんさい)が開かれていて、今年は、今月17日(火曜日)です。
このお祭りは登山者の安全を祈願する山開きもかねているんです。
家族連れからベテラン向けのトレッキングコースもあるというこの大菩薩峠ですが、
天候などの情報を確認しながら、安全で楽しい観光を心がけてください
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是非お楽しみ下さい!
今週のインデックスは…武田菱
山梨の春の一大イベント「第41回信玄公祭り」が、4月6日から3日間にわたり開催されます。
「信玄公祭り」では様々な催しが行われますが、なんといっても甲州軍団出陣の勇壮な姿が楽しみですね。
そして、その中で一際目を引くのが、多くの旗に描かれている武田家の紋章「武田菱」です。
「武田菱」は、武田家の家紋として信玄公ともに大変有名ですが、実は正式な家紋は
菱形が花弁(はなびら)で形取られている「花菱(はなびし)」という紋様なんです。
この「花菱」、武田信玄が活躍する500年も前から武田家の家紋として定められていたといわれており、そのルーツは、甲州市の菅田天神社(かんだてんじんじゃ)に保管されている、
国宝「小桜韋威鎧(こざくらがわおどしよろい) 兜(かぶと)・大袖付(おおそでつき)」にあります。
「楯無鎧(たてなしのよろい)」の名が有名ですね
平安時代に、武田家の祖である源義光が拝領したこの鎧に、「花菱」の紋様が施されていたことから、以後武田家の家紋となったといわれています。
鎧はその後、武田家の家宝となり、戦の前には「楯無鎧」に必勝を誓い出陣しました。
現在、一般的に武田家の家紋として有名になっている「武田菱」は、「花菱」を簡略化したもの
といわれています。
さて、2年振りに開催される「第41回信玄公祭り」 。
見どころの「甲州軍団出陣」は、川中島合戦に出陣する様子を再現したもので、
信玄公役は今回も俳優の沢村一樹さんです。
甲州軍団1500人が出陣する姿は、圧巻です。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください!
そして今回は、東日本大震災の被災地復興支援として、かすがモールの「グルメ横町」をはじめ
舞鶴城公園などの「賑わい城下町」のブースで販売されるご当地グルメなどの収益金の一部が、東日本大震災の被災地復興への義援金として送られます。
また、宮城県などからの出店もあるそうです。
甲州流軍学などが書かれた「甲陽軍鑑」にも、信玄公の言葉として記載のある
「恩は味方」の精神で、美味しいものをたくさん食べて、支援活動にご協力ください。
「信玄公祭り」では、多くの軍勢とともに様々な紋様の幟旗も見ることができます。
お祭りを楽しみながら「武田菱」、そして「花菱」を、探してみてください。
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