きょうのインデックスは…山高神代桜
3月下旬を迎え、そろそろ「お花見」を計画している方もいるのではないでしょうか?
今日はスタジオを飛び出して、北杜市武川町山高にある実相寺にやってきました。
ここに日本大桜に数えられている山高神代桜があります。
●樹齢約2千年のエドヒガンザクラ
●樹高10.3メートル、目通り幹周り10メートル
●新日本名木百選
●山高神代桜、例年の見ごろは、4月7日前後
●今年は冬季の気温が低かったため、開花・満開ともに1週間程度遅くなると予想
●主枝が枯れ始めたのには、観光客が根を踏むなど桜への配慮が足りなかったことも
原因の一つとしてあったので、労わりながらご覧になっていただきたい
神代桜は、大正11年、日本の桜を代表する名木として「三春滝桜」「根尾谷淡墨桜」と一緒に、国の天然記念物第1号の指定を受けたことから、「日本三大桜」と呼ばれるようになりました。
しかし徐々に主要な枝が枯れ始め、昭和59年には台風の甚大な被害を受けました
平成13年、文化庁、山梨県と当時の武川村教育委員会、樹木医などからなる検討委員会が組織され、その2年後、回復作業が始まりました。
回復の兆しが見えるなか平成20年、神代桜を含む14種類の種子(たね)を
国際宇宙ステーション「きぼう」に8ヵ月半保存、その後地球に帰還させ、
さまざまな実験が行われました。
宇宙に行った神代桜は見事発芽
その後しっかりと生育することが期待されています
さて、インターネットサイト「富士の国やまなし観光ネット」では、
今年も「桃・桜開花情報」を掲載しています。
桜の名所だけでも102カ所。
山梨県内で見ることができる桃や桜の名所の情報が満載です。
春のドライブ計画のお伴に活用してみてはいかがですか?
来週から新年度。
この「やまなしINDEX」の放送時間が変更になります。
毎週金曜日お昼12時55分からの放送です。
再放送は引き続き、毎週土曜日朝8時20分からになります。
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!
2012年3月アーカイブ
きょうのインデックスは… 武田二十四将
武田二十四将とは、戦国武将、武田信玄・勝頼の率いる甲州軍団を支え、
合戦のときには、配下の武士達の先頭に立って指揮し、戦った武将達のことです。
紙本著色武田二十四将図
この武田二十四将は、信玄・勝頼を支えた実在の人物で構成されていますが、
フィクションの面もあります。
それは、この武田二十四将が、
同じ時期に活躍した武将ではなく、信玄・勝頼二代にわたって仕えた人々の総称なのです。
しかも、戦国の時代といわれる当時から「二十四将」と呼ばれていたわけではないんです。
江戸時代にベストセラーとなった「甲陽軍艦」の影響で、武田家を題材とした浄瑠璃や歌舞伎が話題に。甲州軍団が一躍有名となり、彼らの中から24人を選抜して絵を描くことが流行しました。
これが武田二十四将というわけです。
24人は絵を描いた人によって異なり、登場した武将の合計は50人を超えるとも言われています。
武田二十四将図(鳥居清信)
この二十四将の武将たちは、恵まれない環境で育った者が多いことを知っていますか。
百姓からの出身者、他国からの放浪者、人質だった者もいるんです。
信玄は、身分や境遇などによる差別はせず、才能さえあれば重要なポストへ登用していました。
この方針は不遇な境遇の者には大きな励みとなり、信玄に恩義を感じ、自分の能力と命を最大限に生かしました。
ですが、信玄が生まれ育った武田家は伝統的な名家だったことから、昔からの重臣たちの意見の尊重が必要で、当初信玄は自分の思うような人材登用が出来なかったのです。
そこで信玄は、まず、その重臣たちが推薦する人物を家臣にしました。
そして次に一生を長男の下で過ごすか、養子に行かねばならぬ境遇にあった彼ら重臣の子弟にも注目。
また百姓出身の者を、今でいう秘書に相当する小姓(こしょう)・近習(きんじゅ)に登用し、
教育と訓練を施したうえ、実戦に参加させ実績を積ませていきました。
そして功績を挙げた者を家臣の末席に加えました。
その結果、やがて信玄が育成した家臣が多くを占めるようになり、政権運営は自らの意志どおりとなっていたのです。
さて、山梨県に春を告げるお祭り「信玄公祭り」が来月6日(金)~8日(日)までの3日間
開かれます。
今年で41回目となるお祭りは、信玄公役に「沢村一樹」さんを、山本勘助役に「伊吹吾郎」さんを迎え、「奮い立たせよ!日本の魂」をテーマに開かれます。
2日目の7日(土)に行われる、鎧武者1500人もの甲州軍団出陣パレードは圧巻です。
その他山梨県内各地で武田信玄の命日である4月12日を中心に、その遺徳をしのぶ様々な
お祭りが取り行われます。
天下統一された後もなお江戸の世で語り継がれた武田二十四将。
才能を生かせる環境が武田家を繁栄させていったのですね
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!
今日のインデックスは・・・窟観音
さて、今日はスタジオを飛び出して、窟観音祭りが開かれる雲岸寺にやってきました!
JR韮崎駅から歩いて5分ほどの距離で、交通の便も良い場所にあります。
県の北部、峡北地域に春の訪れを告げるといわれる韮崎の「窟観音祭り」。
このお祭りは、1000年以上の歴史があり、現在は春分の日とその前日に開催され、
今年は来週の月曜と火曜、3月19・20日に予定されています。
詳しくはこちらのホームページをご覧ください!
窟観音とは、七里岩に掘られた洞窟のお堂に安置されている石仏のこと。
この石仏は平安時代前期に、空海(弘法大師)が、この地の平安を祈って製作したと伝えられています。
そしてこの観音堂には、千体仏(せんたいぶつ)も一緒に安置されています。
ではこれから、その窟観音と千体仏がある洞窟のお堂に向かいます。
七里岩の反対斜面にある隧道から入り、・・・暗くて怖いですけど・・・
外の明かりが見えました!
そして、到着しました~!
ここが、窟観音が安置されている観音堂です。
まさに断崖絶壁で、とても高いところにあります
さて、韮崎という地名は、
窟観音のある七里岩の先端がニラの葉の形に似ていることから付けられた
と言われているんですよ。
そこに目を付けた韮崎市商工会青年部のメンバーが中心の「韮崎ニラの会」が、
「ニラ」を使ったご当地グルメの開発に取り組み、発案されたのが、
「韮焼そば」と「にらまん」です。
「韮崎ニラの会」では、「食による地域活性化」を目指して様々なイベントなどにも
「にらまん」などを出品しています
今回の窟観音祭りにも「にらまん」のブースが出店される予定です。
楽しみですね
平安の時代から韮崎のまちを静かに見守ってきた窟観音。
今年もお祭りとともに春が訪れます
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!
きょうのインデックスは…矢立の杉
東京・日本橋から下諏訪までを結ぶ甲州街道のちょうど中間地点にあたるのが笹子峠。
標高は1096メートル、笹子峠は甲州街道一の難所でした。
ここから東へ800メートルほど下がったところに「矢立の杉」があります。
矢立の杉は、高さ28メートル、幹回り9メートル、
根回り14.8メートルの県下有数の大木です。
樹齢千年を超すというこの杉は、昭和35年に県の天然記念物に指定されました。
戦国時代、笹子峠を通って合戦に向かう武士達が出陣のときに
この杉に「矢を射立てて」戦勝を祈願したことがその名前の由来といわれています。
また、滝子山の山頂から西に向かって射た矢がこの杉に突き立ったことが由来とも言われています。
江戸時代なって甲州街道が整備されると、矢立の杉は、行き交う人の憩いの場として人気のスポットになったそうです。
この時代の末期の浮世絵師「葛飾北斎」や「二代目歌川広重(安藤広重)」の絵にも
この杉が描かれていることから、広く知られていたことが伺い知れます。
歌川広重の「諸国名所百景」に描かれた「矢立の杉」は、この杉の麓で「峠の力餅」として売られていたという、大月市の特産品「笹子餅」のパッケージになっています。
ちなみに、「矢立の杉」を題材にした唄があるのをご存知ですか?
歌手で俳優の「杉良太郎」さんが平成20年にシングル「矢立の杉」を発売しました。
矢立の杉との運命の出会いをしたという杉良太郎さんは、この杉を題材とした芝居の脚本を制作し、同時にこの歌も作ったそうです。
この年、杉良太郎さんは、芝居の中に出てくる地蔵をこの地に奉りたいとの思いで、
「身代わり両面地蔵菩薩(杉良太郎菩薩)」を寄贈したそうです。
この地蔵の裏には
『自分のために生きる虚しさ 人のために生きる幸せ』
との文字が刻まれています。
大月市には、こんなかわいいグッズもあるんですよ!
さて、ひと雨ごとに暖かくなりいよいよ春の観光シーズンの到来ですね!
矢立の杉をぜひ皆さんに見ていただきたいのですが、いくつかお願いがあります。
県道(日影笹子線)は大月市笹子町から矢立の杉まで向かうことは可能ですが、
路面の凍結や落石にご注意ください
なお、矢立の杉から甲州市大和町までは、昨年9月の台風による土砂崩れや積雪の影響で通行止めになっています。
また、火の始末、ゴミの投げ捨て、不法投棄などもご注意いただき、観光資源を大切にして頂くとともに、交通情報、気象情報に細心の注意を払って、安全な観光に心がけてください!
悠久のときを経て、この地で人々の暮らしを見守ってきた巨木「矢立の杉」。
今もなお、ダイナミックな存在感で多くの人を魅了し続けています
アクセス方法は富士の国やまなし観光ネットのホームページをご覧ください。
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きょうのインデックスは・・・みみ
山梨のみみといえば、県の南部・峡南地域に伝わる伝統料理のこと。
「みみ」は、小麦粉をこねて伸ばし、ひとくち大にした正方形の麺生地を、
2つに折って三角形にし、たくさんの野菜とダシの利いた味噌仕立てで煮たもの。
野菜はゴボウ・サトイモ・カボチャ・ニンジン・ダイコンなどの季節の野菜が多く使われます。
呼び名の由来は、
人の耳に似ている、
農機具の箕(み)の形に似ている
など諸説ありますが、
富士川町(旧・鰍沢町の山間部の十谷地域)には、こんな言い伝えがあります。
昔、源氏の武将が隣村との境界争いのとき、神様に「ぜひ勝たせてほしい」と願掛けをしました。
勝ったときには縁起物の「福箕(ふくみ)」を奉納すると約束し、見事勝利。
村人は神様に「福箕」を奉納したというもの。
祝いの食事として、この十谷地域では毎年、正月元旦の朝食に「みみ」を家族みんなで食べる習慣が残っているんですよ。
さて、「みみ」を気軽に味わいたい、体験したいという人にお勧めなのが、
富士川町にある「ふるさと体験教室『つくたべかん』」。
つくって、たべて、かんじてほしいという想いからこの名前が付けられました。
ここでは、「みみ」を始め、そばや味噌作りの体験ができるんです。
体験しなくても、つくたべかんお食事処で「みみ御膳」を味わうことができますよ。
つくたべかんのホームページはこちらです!
ちなみに、お家で作りたいという方は、社団法人山梨県栄養士会ホームページ内の
「山梨の郷土食」に「みみ」のレシピが掲載されているので、チェックしてみてください。
ホームページはこちらです!
つくたべかんは、週末のドライブコースとしてもおススメです
地域の特産品の販売のほか、近くには南アルプスから湧き出た渓流が作り出す数々の
滝や吊り橋、大柳川渓谷を散策する遊歩道があります。
春は山菜採り、夏は渓流釣り、秋は紅葉狩り、冬は湯治と、四季折々の自然を楽しむことができます。
3月下旬には、富士川町「大法師公園の桜祭り」が開かれます。
祭りでは、「みみ」が観光客に振る舞われるそうですよ
富士川町・十谷(じっこく)地域に古くから伝わる郷土料理「みみ」。
ふるさとの味が、地域の伝統に深みを持たせ、いまも人々の生活の中に息づいています。
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
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