きょうのインデックスは…恩賜林
今年9月に立て続けに日本を襲った台風12号と15号。
山梨県内にも道路の冠水や土砂崩落など大きな被害をもたらしました。
そして今からおよそ100年前の明治40年、同じく台風による豪雨で山梨県内は
大洪水に見舞われました。
総雨量は降り続いた3日間で、大月市付近で700ミリを超え、笛吹市付近でも500ミリ近い雨量になりました。山梨の1年間に降る雨の量はおよそ1100ミリですから、数日間で
半分近くの量が降ってしまったんですね
被害は甚大で死者233人、家屋の倒壊11943戸、沈んで流出してしまった田畑や宅地は650ヘクタールに及び、当時の県予算の10倍を大きく超える額に上りました。
さらにその3年後の明治43年、再び大水害が山梨を襲います。
県民の生活は苦しく、被災した県民が新天地を求めて北海道へ集団移住したという史実も残っています。
この様子を知った明治天皇は明治44年、大水害で疲弊した県民の暮らしの復興のために、16万4千haの森林を含む土地・御料地を山梨県に下さりました。
これが県有林の大部分を占める恩賜県有財産で「恩賜林」と呼ばれています。
広さは県内面積の3分の1に及んでいます。恩賜林は28市町村のうち23の市町村に渡り、現在、県の条例によって保護されています。
そして、みなさん「恩賜林記念日の歌」をご存知ですか?
懐かしく思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
明治45年に、3月11日を恩賜林御下賜(恩賜林を本県に下されたこと)への感謝の気持ちを表す「恩賜林記念日」に制定し、戦前、記念日には県内の小中学校ではこの歌が歌われていました。
また、御料地を下さったこと=御下賜に感謝の意を表して建設されたのが、舞鶴城公園にひと際目立つ石塔「謝恩碑」です。
高さは約26メートルで、東山梨郡神金村(現在の甲州市)の恩賜林から切り出された白い花崗岩が使われています。
恩賜林は、明治の大水害直後の復興だけではなく、戦後の経済復興の基盤にもなりました。
また、現在では、森林は水源地とも重なって、治水の大きな役割を果たすとともに、
美しい景観や「癒し」などにも大きく寄与しています
さて恩賜林は今年、御下賜からちょうど100年を迎えました。
これを記念して今週13日(日)にコラニー文化ホールで、
恩賜林御下賜100周年記念大会が開かれます。
舞鶴城公園にそびえ立つ謝恩碑は、すっかり街並みに溶け込んでいます。
それは、県土を覆う恩賜林をはじめとする森林が、それだけ私たちの生活に根付いている証かもしれません。
先人たちから受け継いだ森の恵みに感謝し、この記念大会をひとつのきっかけに、
豊かな森林づくりを進めていきたいですね
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!