きょうのインデックスは…黒駒勝蔵
江戸末期、静岡県の清水次郎長と対決したことで知られる
甲州の侠客「黒駒勝蔵」。
侠客とは、強い者を抑えて、弱い者を助けることを建前に活動していたやくざのこと。
勝蔵は、現在の笛吹市御坂町上黒駒地区で生まれました。本名は「小池勝蔵」です。
勝蔵は小池家の二男として育ち、25歳で家を出て、隣村の「吃安(どもやす)」とも呼ばれていた竹居安五郎(やすごろう)の下で賭け事を始めます。
この時代、飢餓による社会不安が広がり、博徒(ばくと)、いわゆるバクチ打ちが横行していました。
親分・吃安は関東最大の博徒で、脱獄していたため幕府から逃げていました。
やがて吃安が投獄され牢死すると、勝蔵は甲州博徒の親分として名を上げました。
明治になると、勝蔵は池田勝馬と改名し、官軍として戊辰戦争に参加。
しかし、明治4年、脱退の疑いや、殺人の罪をきせられ、
甲府市酒折近くの山崎処刑場で斬首されました。
史料などによると、
勝蔵は「色白で丸顔の大柄な男、気の長い方でおっとり構えていた」とあり、
「親分になっても変わらず、ケンカなどで騒ぎ立てると
『じたばたしちょ。でたこたぁ治まる』とたしなめた」
と記録に残っており、現在で言うやくざとは違うが印象が伺い知れます。
勝蔵などの博徒は村社会の中で必要とされていたという考えもあります。
幕末、幕府の勢力が弱まり役人の数も少なくなったことで、
村を取り締まる役割として、名主の息子の中から親分がよく出たそうです。
また、幕末から維新にかけての民衆のリーダーとして再評価する意見もあります。
さて、黒駒勝蔵とは対照的に、現在の暴力団・ヤクザは一般市民を脅かす存在になっています。
県内でも、今年5月から、暴力団同士の抗争が続いています。
県内の暴力団の犯罪検挙数は、昨年度238件と、その前の年に比べ増加しています。
県では、今年4月「山梨県暴力団排除条例」を施行しました。
この条例の基本理念として、「3ない運動」があります。
その 暴力団を恐れないこと
その 暴力団に資金提供しないこと
その 暴力団を利用しないこと
この3つです。
県では、暴力団の予備軍とも言われ、現在では一般市民にも危害を加えるなど悪質化している
暴走族の追放も啓発しています。
私たちが安心して生活できる社会になっていくといいですね
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!