きょうのインデックスは…清里
八ヶ岳の麓に位置する北杜市の「清里」。
この時季の清里は、すっかり秋らしくなり、山の紅葉も始まっています。
現在は、観光地として県内外から多くの人が集まる清里ですが、
実は、ほんの数十年前までは、多くが未開の地で、冬の寒さも大変厳しかったことから
「山梨の北海道」とも言われるほどでした。
昭和13年、奥多摩湖の建設に伴い、故郷が沈むこととなった丹波山村、小菅村の人々が、清里の地へ移り住み開拓が始まりました。
清里というとポール・ラッシュ博士がキープ協会とともに大変有名ですが、時を同じくしてこの開拓を支えたのが、当時、八ヶ岳開墾事務所長を務めていた安池興男氏です。
安池氏は、当時の農林省から県に出向してきた技官で、農業指導を始め献身的に開拓民をサポートしました。
しかし、一面を覆うクマザサと貧しい土壌に、開拓は困難を極め、
ダム建設のために移転を余儀なくされたにもかかわらず、水不足に苛まれるといった皮肉な結果も加わり、開拓民は大変な苦労を強いられます。
開拓当初の住居も粗末なもので、朝起きたら布団に霜が降りていたなんてこともあったそうですよ
そんな開拓民の生活をなんとか改善するため、安池氏は、自らの生活を顧みず支援を続けました。
開拓民への肥料の提供や、小学校建設への協力などをはじめとした安池氏の尽力は、開拓民との絆とともに、今もなお語り継がれています。
その開拓民との絆の象徴ともいえるのが、清里八ヶ岳地区の興民館です。
通常、公民館の「公」は、「おおやけ」という字を用いますが、
こちらの興民館は、安池氏の名前「興男(おきお)」から一文字取り「興す」(興味の「興」の字ですね)が使われています。
今では観光地として有名な清里ですが、多くの苦労や様々なドラマがあったんですね。
さて、山梨県では、近年増えつつある耕作放棄地の対策として
「耕作放棄地等再生整備支援事業」などの各種対策を進めています。
詳しくは、山梨県農村振興課か各農務事務所、またはお住まいの市町村にお問い合わせください。
多くの恵みを与えてくれる豊かな農地。
今日紹介した「清里」のような先人の苦労の歴史とともに、大切にしていきたいですね
イベント情報です
今週末の15日と16日に、清里では「カンティフェア2011」が開催されます。
このお祭りは安池氏と同時期に、やはり清里の発展に尽くしたポール・ラッシュ博士が始めたお祭りといわれています。
皆さん、是非お出かけになって、開墾された豊かな農地への感謝と、開拓時の歴史に触れてみてはいかがですか
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!