きょうのインデックスは…甲府藩
江戸時代、甲府藩は、谷村藩などと並ぶ甲斐国(かいのくに)に栄えた藩の一つです。
甲斐国は、戦国時代に武田氏により統一、武田信虎から信玄の時代にかけて甲府に府中が移され、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を中心とする城下町が形成されました。
武田氏が滅亡すると、一時、織田信長は、家臣・河尻秀隆(かわじりひでたか)に甲斐一国を与えますが、信長が亡くなると、甲斐では元・武田家臣による一揆がおこります。
これによって領主は殺害され、甲斐国は領主がいない状態に陥り、その後、徳川家康の支配になります。
家康は、家臣に新たに甲府市・現在の県庁や舞鶴城公園がある場所に甲府城を造らせ、豊臣系の大名に甲斐国を支配させました。
関ヶ原の戦いの後、甲斐は、徳川家直系による支配を受けますが、その後の改革で
幕府直轄領になります。
それからおよそ20年後には3代徳川家光の三男である徳川綱重が甲斐の支配を許され、
この時、初めて甲府藩が成立することになりました。
1704年、5代将軍・綱吉の側用人、柳沢吉保が甲府城主に任命されます。
柳沢家は甲斐源氏の一族、一条家の末裔にあたります。
柳沢吉保は学問に熱心であった綱吉の弟子として寵愛され、先祖の出身地である甲斐の領土と、甲府城を与えられ、事実上甲斐一国を支配することになりました。
吉保が、特に力を入れたのは、甲府城と城下町の整備でした。
異例の出世ぶりは、しばしば作品の中で陰謀をめぐらす策略家として演出されますが、
吉保が他の大名と交わした書簡を見ると、幕府の行事や将軍の意向を気にかける大名らに丁寧にアドバイスしていて、彼の律義で誠実な仕事ぶりが分かります
甲府城築城期の石垣 「甲府城の内堀の石垣」写真提供:山梨日日新聞2011.9.9掲載
さて、県立博物館では、この秋「柳沢吉保と甲府城」の企画展を開きます。
10月8日(土)~11月28日(月)まで行う予定です。
県内外に伝わる吉保の書簡や甲府城跡から出土した当時の遺物、また恵林寺に伝わる
柳沢夫妻愛用の調度品など、これまでほとんど公開されたことのない、
柳沢家ゆかりの貴重な文化財が展示されます。
詳しいことは県立博物館へお問い合わせください。
↑山梨県立博物館のホームページへはこちらの画像をクリックしてください。
甲府城周辺を整備した柳沢吉保の偉業を、この目で確かめてみてはいかがですか
「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。
是非お楽しみ下さい!