きょうのインデックスは・・・「甘草屋敷」(かんぞうやしき)
甘草は、ショ糖=砂糖の140倍~150倍の甘みを持つことから、食品の甘味料として使われる一方、主成分グリチルリチンは、練り歯磨きなど、薬用としても広く用いられています。
甘草屋敷は、JR塩山駅北口にある大きな木造民家で正式な名前は、「国指定重要文化財・旧高野家住宅」と言います。高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草を栽培して、幕府に納めていた家で、このため、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきました。
19世紀初頭の建築と考えられ、江戸時代の養蚕農家の代表的な家の造り「切妻造り」を今に伝えています。
高野家の沿革がわかる貴重な資料に「甲州甘草文書」(県指定文化財)というものがあります。
この古文書によりますと、1700年代、徳川8代将軍・吉宗の時代に幕府お抱えで、薬の採取を担当した医師・丹羽正伯(にわ しょうはく)が高野家を訪れ、屋敷内にあった甘草を「幕府御用」として認めて、その栽培と管理を高野家に申し渡しています。
以後、およそ1,000㎡の甘草園は、年貢を免除され、幕府官営の薬園として上納を行ったということです。
この背景には、江戸時代、相当量の薬や砂糖などが輸入され、その代金として莫大な金銀が海外に流出するようになったことが関係しています。
金銀流出を食い止めるために、幕府は国内で自給可能な体制を整えようと、薬を採取する医師「採薬師の派遣」を行いました。
これは、国内で作られる薬などの採取を目的として、幕府は各地へ採薬師を派遣、併せて地元の人々に何が役立つかを教えたということです。
現在、この歴史ある「甘草屋敷」をメイン会場に、「甲州市えんざん桃源郷・ひな飾りと桃の花まつり」が開催されています。(~4月18日)
甘草屋敷には、江戸・明治・大正・昭和各時代のひな人形が、塩山オリジナルの「つるし飾り」とともに展示されています。
全国から集まった雛人形はおよそ700体というから驚きです!
例えば、江戸時代中期、享保年間に流行した内裏雛で、豪華な衣装、面長の顔、目は切れ長で歴史的にも貴重な「享保雛」や、宮廷や武家の間で可愛がられたところから名前がついた、ぽっちゃり型の「御所人形」など大変珍しい雛人形に出会えます。
また、和紙で作られ、素朴な味わいのある「つるし飾り」は、東京から移り住んだ志村トミさんが、塩山地区の皆さんに教えたもので、来月18日までの期間中、毎週土曜日に、甘草屋敷で「つるし飾りづくり体験教室」が開かれています。(有料)
自分だけのオリジナル作品を作ることができるそうです
雛祭り・・大人になってもなんだかわくわくしますね
峡東地域の梅の花、桜の花を楽しみながら、甘草屋敷に出かけてみてはいかがでしょうか?