2010年10月アーカイブ

きょうのインデックスは・・・「ワインツーリズム」



「ワインツーリズム」とは、自らワイナリーを巡って、造り手と触れ合い、そこで造られたwineワインを味わう、そんな旅のスタイルです。

今年で3回目を迎える「ワインツーリズム」のイベントは11月6日と7日に開催されます。

flag決まったコースなどはなく、参加する人が自分で行きたいワイナリーなどを選んで、当日運行される臨時循環バスbusに乗って目的地を目指します。今年は、甲州市方面のほか、甲府市もルートに含まれました。

今回の放送はスタジオを飛び出して、甲府市のワイナリー「シャトー酒折」さんにお邪魔してきました。
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お話を伺ったのは醸造家の井島正義さん。

ワイナリーでは、ブドウの仕込が一段落し、11月3日に解禁される山梨ヌーボー(今年収穫されたブドウで造られた新酒)の瓶詰め作業の真っ只中coldsweats02
たいへんお忙しい中ご対応いただきました。(ありがとうございますconfident
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シャトー酒折さんの2010年の新酒「甲州にごり」
今回は11月3日の山梨ヌーボー解禁を前に、特別に一足お先に試飲をさせていただきました。

wineグラスを口元にもっていくと、凝縮されたフルーツの香りがフワっと漂って、口にふくむと、
フレッシュ・フルーティー!飲みやすい!とっても美味しいlovely

井島さんは、

食卓に上ったワインが、スルリとボトル1本空いてしまう・・・。
グラス一杯で感動するのではなく、ボトル一本空けて感動するワイン・・・。

そんなワインを造りたいとおっしゃっていました。

たしかにそんなワインですhappy01


そんな醸造家の皆さんとの会話もワインツーリズムでの楽しみの一つです。
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ワインツーリズム当日、シャトー酒折さんでは、栽培家の皆さんと実際にブドウ畑をまわるツアーや、
醸造スタッフによるワイナリーツアーなどを計画されているそうです。

中でもおすすめは、通常午後4時の閉店時間を午後7時まで延長して、甲府のnight夜景を見ながら
ワインを楽しめる企画。
普段はスタッフの方しか見ることが出来ない風景を見ることができますwink


「ワインツーリズム2010 ぶどうとワインの産地をめぐる、山梨のまつり」は、11月6日と7日に開催されます。

bus臨時バスは、6日・土曜日に甲府ルート、7日・日曜日に勝沼・塩山ルートを循環します。

参加費や申し込みなど詳しくはワインツーリズムのHPをご覧ください。

ワインツーリズムのHPはこちらです。


山梨県民の方はもちろん、県外の方にもぜひ勧めてくださいhappy01

きょうのインデックスは・・・「谷村勝山城 茶壺蔵」



「ずいずいずっころばし ごまみそ ずい 茶壺に追われて とっぴんしゃん ぬけたら どんどこしょ・・・」

日本に伝わるnotesわらべうたの「ずいずいずっころばし」

茶壷というのは、「茶壺道中」を指します。

「茶壺道中」とは、京都の宇治で作られたお茶を将軍家御用として江戸城へ運ぶための恒例行事で、この一行を「御茶壺道中」と呼びました。

歌の中では、胡麻味噌をすっていると、御茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)静かにやり過ごし、御茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけた(=ぬけたらドンドコショ)・・・という歌です。


お茶は、風味を大切にするので、保存には注意を払います。
保存技術の進んでいない江戸時代、お茶を湿気と暑さから守るため、sun夏の間の保存地として、現在の都留市にあった谷村勝山城が選ばれました。

将軍用として運ばれる茶壺の一部はmaple秋の行事に使用されるので、夏の間の保存地として、fuji富士山の冷気を受け、江戸から往復3~4日という近距離にあることで勝山城が選ばれたようです。


この谷村勝山城の茶壺蔵は、茶壺道中に関する、夏を越すため「保存」という特殊な目的をもって設置された日本で唯一の施設なんです。

御茶壺道中のfootコースは、壺が空の状態の往路は交通の便が良い東海道を、茶葉を壺に詰めた復路は湿気を避け、この谷村勝山城に通じる中山道~甲州街道がコースとなったとのことです。


この御茶壷道中は、摂関家や門跡並で、たいへん権威があり、御三家の行列であっても、駕籠(かご)から降りて道を譲らねばならならず、子供の戸口の出入り、たこ揚げ、煮炊きの煙を上げることも禁止されたというほどcoldsweats02

権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民の様子が、わらべうた「ずいずいずっころばし」に表現され、現在まで歌い継がれています。


都留市では、10月の最終日曜日(今年は31日)に開催される「つる産業まつり」と同時に
「御茶壺道中行列」を開催、当時の様子を忠実に再現しています。
もちろんこちらの行列は怖くないですcoldsweats01


江戸時代の御茶壺道中は、往路11泊12日、復路12泊13日、往復で25日間のrun長旅でしたが、近い将来には山梨県を通るリニア中央新幹線(リニアモータカー)が現実化すると、往復でなんと約2時間!
あっという間ですね。


山梨にとって、リニアの開通は、大都市圏との時間距離を大幅に短縮して、社会、経済、文化、産業など、あらゆる面で飛躍的な発展をもたらすと期待されます。
そこで県では “リニアを活用した県土づくり” について検討し、計画的に進めていくこととしています。

この山梨にどんな未来が待っているのか楽しみですねhappy01! 

きょうのインデックスは・・・「ポール・ラッシュ」



『清里の父』として知られるポール・ラッシュは、不屈のフロンティア精神と崇高なボランティア精神を発揮して、日本のために一生を捧げた人物です。

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ポール・ラッシュは、1897年、アメリカのケンタッキー州生まれ。
初来日は1925年=大正14年、関東大震災で崩壊したキリスト教青年会=YMCAを立て直すためにやってきました。YMCA再建後は、立教大学で教鞭を取り、東京の聖路加国際病院建設の募金活動など多くの社会事業に尽力しました。

アメリカンフットボールの普及も行い、 「日本のアメフトの父」とも呼ばれますよね。

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1938年(昭和13)には山梨県の八ヶ岳山麓の清里に、キリスト教のリーダー訓練キャンプで、後にキープ協会の中心施設となる「清泉寮」を建設します。

「清泉寮」の名前の由来は、建設地である清里の「清」と隣接する大泉村の「泉」をとって「清泉寮」としたそうです。皆さん知ってましたか?

清里の農村コミュニティーとして高冷地実験農場、農村診療所、農民図書館、農業学校、大地の恵みへの感謝と平和を祈念するための教会などが次々に建設され、全国の農民のための「モデル農村センター」として整備し、米作りが適さない高冷地における酪農の定着や農業機械の普及など、戦後日本の自立、民主化を支えた偉大な方なんですconfident

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理想高き夢を実現し、若者たちに明日への希望とリーダーシップを教えたポール・ラッシュは1979(昭和54)年12月12日に聖路加国際病院において、82歳の生涯を閉じました。
最後までアメリカ人の誇りを忘れず、日本人以上に日本を愛していたそうです。

"DO YOUR BEST,AND IT MUST BE FIRST CLASS"

「最善を尽くせ、そして一流であれ」。

この言葉はポール・ラッシュが日本中の若者へ送ったmailメッセージです。

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アメリカで行われる収穫感謝祭「カンティー・フェア」。
清里でも毎年開催されていて、現在は「ポール・ラッシュ祭」として親しまれています。
ポール・ラッシュはこのお祭りを「明日への希望」を信じ、挑戦する人々を励ますために始めたということです。

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今年は、10月16日(土)、17日(日)の2日間にわたり様々なイベントが行われます。

地元八ヶ岳の食材を活かした特色あふれるrestaurantメニューが楽しめる屋台村、paper手づくりの工芸品コーナーが立ち並びます。ステージではnotesアーティスト・ライブ、アメフト体験、また、horseポニーによる草競馬など盛りだくさんです。

清泉寮といえばソフトクリームlovely!このお祭り限定のソフトクリームも登場するようです!
当日をお楽しみに!

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清里の地に眠る偉大なポール・ラッシュに感謝しながら、大草原の上で、秋の1日をたっぷりと楽しんでみてはいかがでしょうかhappy01

きょうのインデックスは・・・「マッシー村上」



先月の23日、メジャーリーガーのICHIRO が10年連続200本安打を達成したことは記憶に新しいところです。
10年「連続」ではありませんが、10シーズンで200本安打を達成したメジャーリーガーがいます。
crown Hit King(=安打王)」こと、ピート・ローズです。ピート・ローズは、大リーグ通算4,256安打を誇る偉大なバッター。
このピート・ローズと対戦した日本人 メジャーリーガーがいるんです。

その人物こそ、「マッシー村上」こと村上雅則さん。
山梨が生んだ、baseball日本人初のメジャーリーガーです。

村上さんは、1944年生まれ、北都留郡七保町=現在の大月市の出身。
法政第二高校在学中の1962年、南海ホークスに入団。1964年、村上さんは、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の1A・「フレズノ」へ野球留学という形で派遣されます。
弱冠20歳での渡米でしたが、得意とするスクリューボールと、現地で習得したチェンジアップにより、リリーフ左腕としてすぐに結果を出し始めます。
様々な苦労を乗り越えながら、活躍を重ね、アメリカのファンから「マッシー」の愛称で親しまれるようになりました。

アメリカに渡ったその年の8月、村上さんにサンフランシスコ・ジャイアンツへの昇格、つまりメジャー昇格が告げられます。1Aからの昇格ですので、2 段階の飛び級coldsweats02 !

9月のニューヨーク・メッツ戦で、メジャー初登板を果たした村上さんは、この年、9試合で1勝1S、
防御率1.80という成績を残します。
これが日本人がメジャーリーグに、初めて残した記録です。

1964年の出来事ですから、今から46年も前。
メジャーリーグと言いますと、ドジャーズなどで活躍した野茂英雄投手を思い浮かべますが、それよりも30年ほど前のことになります。(野茂さんは95年に入団)

当時のS. ジャイアンツは、後に殿堂入りを果たすスターが大勢そろったタレント集団。
村上さんは、そんな名選手と共にチームの勝利に貢献、2年目(1965年)も、45試合で4勝1敗8S
防御率3.75と大いに活躍し、契約の関係で日本に戻ります。

その後、南海ホークスや日本ハム・ファイターズなどで、合計103勝をマーク。現役引退後も、指導者やメジャーリーグ 解説者として、現在も活躍されています。


さて、fuji山梨出身のプロ野球選手には、巨人軍の監督も務めた堀内恒夫さん。
阪神で活躍した久慈照嘉さんら、そして、現役選手では、大月市生まれの小林雅英選手。メジャーリーグにも在籍して、現在は、巨人で救援投手として活躍しています。

また山梨市出身の巨人・松本哲也選手は、育成選手からレギュラーとなり、去年は新人賞などを獲得。山梨県イメージアップ大賞も受賞しています。


ぜひ、みんなで地元出身選手に声援をおくりましょう!


スポーツを頑張っている子どもたちにも、

「いつかは、プロ野球、そしてメジャーリーガー!」

そんな夢を持って頑張って欲しいと思いますhappy01 

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きょうのインデックスは・・・「逸翁」(いつおう)



山梨県韮崎市出身の実業家・小林一三

阪急東宝グループを起こし、商工大臣なども務め、明治から昭和にかけて、日本の政財界に大きな影響を与えた人物です。

notes宝塚歌劇団の創設者とも知られていますよね。
石河アナは大の 宝塚ファンheart04なので興味しんしんhappy01


また、小林一三は文化人としても知られ、収集した茶器や日本古美術などを中心とした美術工芸品は、一三の雅号の「逸翁」から「逸翁コレクション」と呼ばれています。

今回はスタジオから飛び出して、art山梨県立美術館の春原さんに文化人・小林一三、「逸翁」について伺いました。

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小林一三は、school 慶応義塾に在学中(17歳の時)山梨日日新聞で pen小説を連載していて、卒業後は新聞記者になろうとしていたそうです。
随筆、演劇論、経営書の執筆や宝塚歌劇団の脚本なども手がけています。

また、japanesetea 茶人でもあった一三は、茶道の世界でも多くの功績を残し、茶道具の収集も行いました。

茶道具のほかにも、日本の絵画や美術品、海外の美術品のコレクションが、現在、「逸翁美術館」(大阪)に収蔵されています。

今回、山梨にやってくる展示物には10点もの重要文化財が含まれ、皆さんがご覧になったことがあるであろう、豊臣秀吉の画像も見ることができます。

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「小林一三の世界展 逸翁美術館の名品を中心に」
山梨県立美術館で、10月30日~11月30日まで開催です。

県立美術館のホームページはこちらです。

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