今日のインデックスは・・・「望郷の歌人」
山梨が生んだ歌人「山崎方代」。
方代は大正3年に旧右左口村=現在の甲府市右左口町に生まれ、昭和60年に神奈川県鎌倉市で70歳の生涯を閉じました。今年は没後25年にあたります。
方代は少年時代に短歌と出会い、家業である農業などを手伝いながら、短歌を詠み始めました。
昭和12年、方代23歳のときに母を亡くし、横浜に嫁いだ姉を頼り、父と共に身を寄せました。その後、太平洋戦争に召集され、戦地で負傷。右目の視力を失った方代は職を転々とし放浪生活を送っていた時期も、短歌は作り続けました。
山梨を離れてから、再び山梨に住むことはありませんでしたが、右左口村を愛し、この地にちなんだ歌も多く残しています。
「ふるさとの右左口むらは、骨壷の、底にゆられて、吾が帰る村」
方代直筆の書
この歌は、昭和56年に故郷に建てられた方代の歌碑にも刻まれています。故郷を強く思いつつも、そこに再び暮らすことはできないという複雑な思いが込められています。
故郷を離れても、父や母と暮らした山梨の地に思いをはせる歌を詠ったことから、「望郷の歌人」として親しまれています。
また方代の短歌は、口語調でわかりやすい表現を用いて、日常の何気ない風景の中に、孤独やユーモアを込めています。
「茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ」
独自の創作活動を通したことが短歌の世界では極めて珍しく、また自身の短歌を書いた特徴的な書も高い評価を集めています。
そんな方代の生涯と、短歌の世界の魅力に迫る企画展「山崎方代展 右左口はわが帰る村」が、山梨県立文学館で開催されています。
自筆の書や愛用品などおよそ150点が集められているほか、28名の有名歌人が最も気に入った方代の歌を選び、自筆の鑑賞文を寄せています。
実際に文学館で方代の作品を鑑賞した石河アナ。
そこで気になった作品は・・・
「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」
和歌山に住む歌人に恋をした方代は、和歌山まで直接出向いて告白をしたそうです。
その恋した女性を想って歌ったと言われています。
「山崎方代展 右左口はわが帰る村」は、山梨県立文学館で6月27日まで開催されています。
ぜひお出かけください!
展示を見ながら方代の世界を知ることができるクイズもあります。